人生という冒険はつづく

普段の仕事の中で、感じたり伝えきれなかったことを書き留めています

失敗には法則がある

昔から、話すのは得意だった。「いろんなこと知ってるね」とか、「面白いね」と言われて喜ばれた。

人と話すのは、今も大好きで、人の顔を見れば、いくらでも話したいことが出てくる。相手を見ながら話しをするのは刺激的で、新しい視点やアイデアが得られることもある。だから、一晩中でも喋り続けられる自信もある。

 

しかし、文章を書くのはとても苦手だ。今、こうやって書いているのもしんどいなあ、やめたいなあと思っている。ちょっと後悔してるのかも知れない。

それでも書かなければいけない、なんとか外に出さなきゃいけない、と思ったのは、一人一人と話しをするのでは、時間が足りなくなってしまうと感じたからだ。

 

 

45歳を過ぎて、大きな名声を得たわけではないけれど、人並みに迷ったり、悩んだりしながら、僕なりに歳を重ねてきた。

ささまざまなタイミングで、都度選択をして今ここにいる。その時は最善の選択だと信じて行動したけれど、その選択が正しかったのか?自分の人生をより良い方向に導いたのか?と問われると全く自信がない。行き当たりばったりで、やるべきことから目を逸らしたばっかりに、随分と遠回りをしてきたと思う。幸いなことに、ささやかながら、夢が叶ったと思うこともあった。その過程では、僕の中でのかけがえのない出会いや、喜びを分かち合う瞬間にも出会えた。

 

こんな人生の中で、僕が伝えられることと言ったら、華やかな成功ストーリーではなく、大きな失敗をしないための選び方だ。

あの時こう考えていたら、こんな行動をしていたら、もっと違った人生があったかもしれない。そして、その選択のタイミングで、誰か先に教えを請うておけば、こんな失敗はしなかったかもしれないのに。もしかしたら、いろんな人が僕に助言してくれていたのかもしれないが、その頃の僕は聞く耳を持っていなかっただろう。若気の至りとは、結果ではなく、失敗に至る過程で人の忠告をきちんと聞けないことだ。

 

 「失敗は成功のもと」という諺の意味は、失敗の原因をきちんとして、後に活かせば成功につながる、とそんな意味らしい。僕の失敗を伝えることで、誰かの失敗を未然に防ぐことができるかもしれない。失敗を語ることが誰かの成功の一助になるなら、僕の失敗したことも少しは意味のあるものになるのではないか。

 

そんなこと思って話しをしていると、若い頃の僕のとは違って謙虚に聞いてくれる。それで相手によって言葉を選んで時間をかけて話しをしているつもりだけど、一度ではなかなか伝わらない。さらに繰り返すことになる。そして気がつくのは、僕をふくめて、みんなが躓くところは、驚くほど同じだということ。だから複数の相手にも同じ話しを繰り返すことになる。どうせ繰り返し同じ話しをするのなら文書化しておいた方が時間の節約になるというものだ。

 

話していて一つ理解したことは何か?「失敗には法則がある」と言うことだ。その法則を理解していれば、失敗は避けられる。そしてこの法則は裏返せば、どうすれば成功できるかにつながるはずだ。

人生は誰にとっても一度きりである。時間は有限である。僕のように迷走して回り道していてはもったいない。ささやかでも、僕の話が、あなたの成功の一助になれば幸いである。