人生は限りがあるという話

人生が80年のマラソンだとしたら、今、僕は折り返し地点を過ぎた所にいる。人並みに仕事に就いて、家族もいる。大きな不満がある訳では無い。でも若い時に思った、なりたい自分になれたのか?と問われれば、まだまだ辿りつけてない僕がいる。

 

これまでの人生の歩みの中で、僕は大小数多くの失敗を重ねた。失敗と言えないまでも、回り道をして無駄な時間を過ごしてきたと思う。自分の人生に後悔はしていないけど、若かった僕に、伝えられるものなら、伝えたいことがある。それはとても単純なことだ。

 

 「人生とは有限であるということ」

 

人生が有限なんて当たり前じゃないか、人はいつか死ぬんだと、あなたは言うかもしれない。でも、そのことに本当に自覚的であったかというと、どうだろう?少なくとも僕には自信がない。

 やりたいことがあっても、なんとなく気が乗らない、ほかのことをして誤魔化してしまう。「明日から頑張ろう!」ってセリフはそれを如実に表している。どんな些細な事だって、明日始めるのでは遅い、今すぐやらなくちゃ間に合わないんだ。


そのことを痛切に感じたのは、最近、とても大切に思っていた部下が相次ぎ会社を辞めることになったことだ。「手塩にかける」とは言い過ぎかもしれないけど、大きな期待をかけていた。辞める理由はそれぞれに叶えたいものが違うから、ということであり、それは歓迎すべきことだし尊重しなければならない。でも、僕の一方的な思いで相手は望んでいなかったかもしれないが、一緒にやりたかったこともあった、もっと伝えたいこともあった。でも、それは叶わない望みだ。

 

誰もが漠然と今日は昨日の延長で、明日も変わらない一日が待っていると思っている。でも、それは大きな勘違いだ。昨日よりも今日は一日歳をとっている。昨日とほとんど同じように見えても、少しだけ変わっているのだ。その些細な毎日の積み上げが、人生に他ならない。明日も同じ日が来るとは限らない。

 

一日ではピンとこないかもしれない。それなら、一年後、あなたは何を望むのだろうか?来年には、もっといい仕事をしたい、やりたいことにチャレンジしたい、誰か好きな人を見つけて結婚したい。なんでもいいけど、それを達成したいと思ったら、今何をすべきか考えて、すぐに行動を変えなければ、何も変わらない。

 

来年は今年と同じではない。もしかしたら、良いチャンスが巡ってくるかもしれない。新しい出会いがあるかもしれない。でも、それと同じか、それ以上の確率で、今より体調が悪いかもしれない、今よりも状況が悪くなっているかもしれない。変な人につかまるかもしれない。

 

人生は、あなた一人だけのものではなく、周囲との関わりの中で起こる出来事から成り立つ。周りの人たちとの関わりを避けられないし、時間が経つと周囲は否応もなく変わっていく。あなたを見る目も関わりも変わっていく。

 

その中で、自分の望みを叶えるためには、まず自分が変わる事で、周囲との関わりも自分の望む方向に変えていかなければならない。自分が変わり、周囲が変わる。その後にやっと望みが叶うのだとしたら、望みを叶えるためには、否応なく時間が必要だ。そして大きな望みほど、必要とする時間は大きくなる。

 

大きな望みではなく、小さな望みなら短期間で叶うかもしれない。しかしそれが、大きな望みを叶える道程にないのなら、小さな望みを捨てて大きな望みをとることを選ばなければならない時もある。だから、大きな望みを曖昧にして、やりたいことを誤魔化して、小さな望みを叶える行動をとっていると、本当は叶うはずだった大きな望みを取り逃がしてしまう。たとえかなったとしても、最初の思いよりもずっと小さなものになってしまう。そうなってから気づいても遅い。

 

人生は有限である。時間を有効に使わなければ、本当にもったいない。自分を信じて、自分のやりたいことに素直に、自分のことを冷静に見つめて、適切に選択をしていけば、必ず道は開ける。叶わない望みはない。僕が手にしたかった成功への道を、あなたが早く手にして欲しいと切に願っている。