人生という冒険はつづく

普段の仕事の中で、感じたり伝えきれなかったことを書き留めています

父が旅立った

別れは突然やってくる

明け方、枕元の携帯電話が鳴った。父が倒れたという母からの電話だった。慌てて病院に駆けつけると父はベッドで横になっていた。医者は、もう意識が回復する見込みは無いという。入院手続きを済ませて、別れた5時間後にあっさりと旅立った。もう、未練はないと言うかのように、あっという間の出来事だった。

 

 

死は予想出来ない

母が言うには、前日に特に変わった様子はなかったという。いつもと同じように、買い物に言って、いつもと同じように食事をして、いつもと同じように布団に入った。夜にトイレに起きるのもいつも通り。いつもと違っていたことは1つだけ、そこから自分で出てこられなかったこと。

 

生と死の境界線

生者でないと病院にはいられない。病院には喪服を着た葬儀屋さんが、父を引き取りに来た。家に帰って布団に寝かせると、そこには父が普通に眠っている様に見える。でも、息をしていない、動かない。魂が抜けると、人から物に変わる。今そこにあるのは父と同じ形をしたリアルな彫像のようなもの。触ると冷やっとするのは、設定温度を下げたエアコンのせいだろうか。

 

その瞬間に何を思ったのか

死の直前には、これまでの人生が、走馬灯のように現れる、という話しをよく聞く。父はその瞬間に何を見たのだろうか。生まれ育った伊豆の風景だろうか。10人いた兄弟の顔だろうか。母との結婚式だろうか。仕事場での同僚とのやりとりだろうか。好きだった海で蟹や貝を獲ったことだろうか。僕を連れて動物園に遊びに行ったことだろうか。妹と遊びにきた孫の顔だろうか。父の人生は満足だったのか、心残りがあったのか。それはもう知る由もない。

 

生活は慎ましく

父は質素倹約を旨として慎ましく生きた。唯一こだわったのは、家族と住む家だ。どうしても持ち家が欲しいと借金をして手に入れた中古の一軒家。父は無駄なお金は使わないと言って、なんでも自分の手でやった。サッシを付け替え、壁を塗りかえ、車庫も作った。お世辞にも素晴らしい出来栄えではないが、住むことにおいては不自由もない。平日は働いて、土日に作業するのだが、それを面倒とか辛いとか聞いたことはなかった。

 

見送りも慎ましく

もともと寡黙な人だったが、歳をとってからは耳が聞こえなくなって、ますます話しをしなくなった。好きだった海も、車を手放してからは遠のいて、家にいることが多かった。お骨なんて海に撒いてくれればいい、が口癖だったから、大きな葬式を望んでいるとは思えない。最後は家族と親族で静かに見送った。

 

旅立つ先は

死んだらどこに行くのだろうか。肉体から離れて自由になった魂はどこに行くだろうか。お坊さんの言うように三途の川を渡っているのだろうか。父は海が好きだったから、海に向かうのだろうか。それとも、見てみたいと言っていた世界の国々をまわるのだろうか。あるいは、父が語らなかった思い出の場所がどこかにあるのだろうか。今はどこにいるのだろう。

 

残された僕らは

父が倒れてからは慌ただしい1週間だった。ただ、そこにいた人が居なくなって、骨という物に変わってそこにある。まだ物になっていない僕らは、お腹も減るし、息子の世話もしなきゃならない。仕事も滞ったままだ。変わらない毎日が続く。変わったのは胸の内。この毎日の果てにあるものは、死なんだという実感。いつか訪れるその瞬間のために、とにかく今日を生きようと思う。昨日の台風が嘘のように、今日の東京は青空が広がっている。