父が旅立った

別れは突然やってくる

明け方、枕元の携帯電話が鳴った。父が倒れたという母からの電話だった。慌てて病院に駆けつけると父はベッドで横になっていた。医者は、もう意識が回復する見込みは無いという。入院手続きを済ませて、別れた5時間後にあっさりと旅立った。もう、未練はないと言うかのように、あっという間の出来事だった。

 

死は予想出来ない

母が言うには、前日に特に変わった様子はなかったという。いつもと同じように、買い物に言って、いつもと同じように食事をして、いつもと同じように布団に入った。夜にトイレに起きるのもいつも通り。いつもと違っていたことは1つだけ、そこから自分で出てこられなかったこと。

 

生と死の境界線

生者でないと病院にはいられない。病院には喪服を着た葬儀屋さんが、父を引き取りに来た。家に帰って布団に寝かせると、そこには父が普通に眠っている様に見える。でも、息をしていない、動かない。魂が抜けると、人から物に変わる。今そこにあるのは父と同じ形をしたリアルな彫像のようなもの。触ると冷やっとするのは、設定温度を下げたエアコンのせいだろうか。

 

その瞬間に何を思ったのか

死の直前には、これまでの人生が、走馬灯のように現れる、という話しをよく聞く。父はその瞬間に何を見たのだろうか。生まれ育った伊豆の風景だろうか。10人いた兄弟の顔だろうか。母との結婚式だろうか。仕事場での同僚とのやりとりだろうか。好きだった海で蟹や貝を獲ったことだろうか。僕を連れて動物園に遊びに行ったことだろうか。妹と遊びにきた孫の顔だろうか。父の人生は満足だったのか、心残りがあったのか。それはもう知る由もない。

 

生活は慎ましく

父は質素倹約を旨として慎ましく生きた。唯一こだわったのは、家族と住む家だ。どうしても持ち家が欲しいと借金をして手に入れた中古の一軒家。父は無駄なお金は使わないと言って、なんでも自分の手でやった。サッシを付け替え、壁を塗りかえ、車庫も作った。お世辞にも素晴らしい出来栄えではないが、住むことにおいては不自由もない。平日は働いて、土日に作業するのだが、それを面倒とか辛いとか聞いたことはなかった。

 

見送りも慎ましく

もともと寡黙な人だったが、歳をとってからは耳が聞こえなくなって、ますます話しをしなくなった。好きだった海も、車を手放してからは遠のいて、家にいることが多かった。お骨なんて海に撒いてくれればいい、が口癖だったから、大きな葬式を望んでいるとは思えない。最後は家族と親族で静かに見送った。

 

旅立つ先は

死んだらどこに行くのだろうか。肉体から離れて自由になった魂はどこに行くだろうか。お坊さんの言うように三途の川を渡っているのだろうか。父は海が好きだったから、海に向かうのだろうか。それとも、見てみたいと言っていた世界の国々をまわるのだろうか。あるいは、父が語らなかった思い出の場所がどこかにあるのだろうか。今はどこにいるのだろう。

 

残された僕らは

父が倒れてからは慌ただしい1週間だった。ただ、そこにいた人が居なくなって、骨という物に変わってそこにある。まだ物になっていない僕らは、お腹も減るし、息子の世話もしなきゃならない。仕事も滞ったままだ。変わらない毎日が続く。変わったのは胸の内。この毎日の果てにあるものは、死なんだという実感。いつか訪れるその瞬間のために、とにかく今日を生きようと思う。昨日の台風が嘘のように、今日の東京は青空が広がっている。

 

 

 

 

選べたかもしれない人生を悔やまない

昔から「石の上にも3年」と言われる。一人前に成功するためには、3年は石にかじりついても辛抱しなければならないということ。古臭い考えだ、と言われる事も多いが、この裏付けになるような研究も話題になった。

 

「1万時間の法則」というものだ。他人より秀でた人達の生き方を研究すると、共通するのは1万時間の鍛錬の期間があるということ。1万時間とは、1日9時間365日休みなく取り組んで3年かかる計算になる。

 

もちろん単純に期間で区切る説には反論もある。性格上の向き不向きや、周りの環境など、結果を左右する要素は期間だけではない。しかし、何ごとにおいても、人より優れた結果を出すことは、一朝一夕でできるわけではないと、あなたも認めるだろう。

 

だからこそ、自分がやるべきこととして何を選ぶのか?が重要になる。何かを選ぶということは、何かを捨てるということでもある。どれかを選ばなければ成果をだすのは難しい。

 

何か1つ選び出すこともまた難しい。やりたい事が2つあるとする。1つに絞らずに可能性を残したいと誰しも思う。今すぐに選択をせずに、保留していれば、可能性は残されるように思える。でもそれは誤解である。時は止まってはいない。周囲の環境は刻一刻と変化していく。歳をとるということ自体が、可能性を狭めていくのだ。

 

1万時間の法則を使うと、1つに集中して、成果を出すには3年かかる。そうすると、2つ同時に実現しようとすると、取り組む時間は各々半分になるから、倍の6年かかることになる。それでも実現すれはいい、と思うかも知れない。しかし、時間がかかることによって、成功のハードルは上がってしまうのだ。

 

あなたが目指す成果に対して努力するのは、あなた1人とは限らない。スタートは同じでも、他の人が集中して3年で達成してしまったら、その相手は6年後にはもっと先を行っているだろう。あなたは、いつになってもその人に追いつくことができない。当初目標としていたことを達成しても、その時には想定した成果が得られるとは限らない。時間がかかった分、価値が半減してしまうのだ。

 

6年という歳月は、あなた自身も変化する。時間が経って、同じコンディションで居られるとは限らない。人生には様々なイベントが待っている。周囲の環境、自分の体調、家族も変わっていく。集中して取り組める時間を捻出することが難しくなるかもしれない。

 

何か1つ選ぶこともまた難しい。やりたい事が2つあるとする。1つに絞らずに可能性を残したいと誰しも思う。今すぐに選択をせずに、保留していれば、可能性は残されるように思える。でもそれは誤解である。時は止まってはいない。周囲の環境は刻一刻と変化していく。歳をとるということ自体が、可能性を狭めていくのだ。

 

人生は選択の連続だ。子供の時は、選択肢は無数にある。歳を重ねるに連れて、意識的にも無意識にも、付き合う相手を選び、進路を選び、仕事を選び、職場を選び、選択することによって、時は流れていく。無数の選択肢から、どれかを選択をするとこで、他の可能性を諦めることと引き換えに、経験と技能得るのだ。

 

未来を正確に見通すことは誰にもできない。選べたかもしれない別の人生。それを悔やんでも意味がない。人生の終わりに大きな後悔をしないためには、意思を持って選択していくことしかない。これまでの自分から決して逃れることはできないが、未来を選ぶ余地は、まだ残っているのだ。

 

 

 

 

転職とは自分を変える一つの手段

人生には、変わらなきゃならないタイミングってものがある。いくら自分はそのままでいたいと思っても、周囲が確実に変わっていくから、ずっと同じ所に留まっている訳にはいかなくなる。

 

例えば会社員として仕事をしていれば、歳をとるごとに求められることが変わっていく。

20代前半は「今できること」

まだまだルーキーだから、言われたことをこなしていれば、そこそこ評価される。ちょっと失敗しても多めに見てもらえたら、ちょっと目立つ結果を出せば評価も上がっていく。

 

20代後半になると「明日できること」

自分一人では成し遂げることはできない大きな目標達成が求められる。自分が成果をあげるためには、自分が頑張るのではなく、周りが頑張れるような環境づくりに気を配る必要が出てくる。

 

30代になれば「1年でできること」

さらに高い視点を身につけなければならない。会社の事業方針や組織の強みを活かして、より利益の上がるビジネスを創っていく役割だ。自然と関わる人数も多くなってくる。それぞれの特性や組み合わせに気を配り、柔軟に対応していかなければならない。

 

誰しもが「昨日できたこと」にこだわる。
どうしても自分の過去の実績を過大評価してしまう。努力して得られた技能や立場を失いたく無いと思うからだ。なるべくなら、このままでいたい、新しいことに手を出さず、今までうまくいっていることを繰り返すのが安心だ。今ある環境で我慢していれば、これより悪くなることはないだろう。そのように考えて、守りに入ってしまいたくなるが、それでは早晩取り残されていってしまう。

 

あなたが変りたくないないと思っていても、周囲から求められることが変わる。今日できたことよりも、明日何を達成するのか、さらにら1年先、3年先、10年先、と責任ある立場になるために求められるのは、未来へのコミットメントに他ならない。過去にこだわらず、前に進んでいかなければならない。

 

頭では理解できても、自分自身を変えるのは難しい。それは、とても苦しいことだからだ。どうしても変わっていかなきゃならないなら、自分の望みを叶えるように変化する方が良いに決まってる。

 

変化するには、自分自身の内面を変えるか、外部環境を変えるか、の2種類がある。

 

周囲の見る目、評価というのは、長く一緒にいるほど変えにくい。だから今いる環境で、周りの評価を大きく変えるのは難しい。大企業であれば、あなたが規模すれば部署の異動によって環境は変えられるかもしれない。でも、中小企業であれば、それには期待できない。人数も少ないし、業務幅も限られてしまうからだ。仕事のやり方を変えられないと、自分の苦手なことを克服するのも難しい。

 

それに対して、転職は変わる余地が大きい。新しい環境ならば、自ずと試行錯誤することになる。今までは、周囲に遠慮してできなかったことにもチャレンジできる。知らない強みで、新しい視点を持ち込めば、お互いに刺激になって、思いもしなかった成果をもたらす、なんてこともにもつながる。要は自分と周りとの関係性な訳だから、周りが変われば、あなたの評価も変わる。それは努力して自分自身を変えるよりも容易いことだ。

 

あなたが変わりたいと望むなら、今いる環境に身を置き続けることがベストとは限らない。あなたにとって、もっと心地よい環境が手に入るなら、もっと仕事がはかどる。もっと自分の力が発揮できる。そんな環境を手に入れたいと誰しも思うだろう。

 

転職が人生の一大事だと捉えると、なかなか踏み出せない。でも、自分を変える一手段だと考えれば気が楽だ。リスクも伴うが、必要以上に力を入れる必要もない。手っ取り早く、過去の自分を捨てて、新しい自分を手に入れることができる。

 

昨日の自分と、今日の自分は同じ自分ではない。明日同じコンディションで居られるとは限らない、先は長いと思ってみても、迷っていたら5年10年なんてあっという間に過ぎてしまう。一度きりの人生で、やりたいことに躊躇していると、2度のチャンスが巡って来るとは限らない。選ばなかった未来を後悔しないように生きて欲しい。

 

 

 

 

 

自分の強みを伸ばした方が良い理由

あなたは、自分自身の「弱み」には目を向けていても、「強み」を見逃してないだろうか。自分はこういう性格だから、これが苦手、ここは悪いところと、弱みを気にして、改善するために試行錯誤しているに違いない。

 

では、反対に、自分自身の強みを伸ばす努力を、どのくらいしているだろうか。伸ばすためには、自分の強みを自覚していなければならない。あなたの強みはなんですか?と聞かれたら、どう答えるだろうか。

弱みとなる性格は、失敗したり、たまに他人から指摘されたりして、気づかされもするが、反対に、ここは良いところだね、と言われると、素直に納得できないのではないだろうか。自分ではそう思えない。お世辞で言われてるかもしれない。なにか裏があるのでは、とまで深読みしてしまう。弱みは納得できるのに、強みは納得できない。この差は何だろう。

 

自分よりできる人がいる、と感じて、まだまだ力不足だと言う。または、自分では、あまりに当たり前に出来ることだから、困ったことがなく、特別なことと思わない。どちらの理由にせよ、あなたは、きっとこう思うだろう。「自分ができるのだから、このくらいのことは大したことではない。」「そんなことだれにでもできるに違いない。」

 

ここに勘違いがある。強みとは、他人に勝るから強みなのではない。強いから、結果として他人に勝るのだ。真面目な人ほど、今の自分と他人を比べると、他人がよく見えて、自分は、いくら頑張ってもダメだ、と諦めてしまう。強みは伸ばさなければ、他人に認められるようにはならない。


仕事で例えてみれば、あなたは、エクセルの集計作業は好きで綺麗な書類が作れるがプレゼンは苦手だとする。エクセルなんて誰でもできるけど、プレゼンできるのは羨ましいと思う。自分も頑張ってるけど、まだまだ不十分と落ち込んだりする。でもプレゼンが上手くて憧れている同僚は、エクセルの計算ミスが多くて上司に叱られる。綺麗に仕上げるあなたを羨ましく思ってるなんてこともある。

 

同僚が、テキパキと仕事をしているように見えたとしても、あなたと同じ気持ちとは限らない。あなたは楽しいと思える仕事が、他の人にとっては避けたい仕事かもしれない。楽しくできることは、あなたの大切な資質である。これをやるのは好き、楽しく取り組める。その良い感情を呼ぶ行動が、あなたの強みの一つである。

 

でも、苦手なことから目を背けるのは、よくないことだ、と、あなたは考えるかもしれない。それは正しいが、限られた時間の中で、なにを優先していくか選ばなければならない。

 

そもそも人の脳は、苦痛を避けて、快楽を求めるようにできているのだそうだ。だから、弱みを克服するよりも、強みを伸ばすことの方が、短時間で結果がでる。努力すること自体が楽しみにつながるからだ。嫌いなこと、辛いことを努力するのは、とてもエネルギーが必要だ。だから、ついついサボっていまう。克服には時間がかかる。

 

新しいアイデアを出すのが得意、書類をまとめるのが上手、プレゼンなら負けない、チェックさせればどんな細かいミスでも発見できる、何だっていい。最初は周りには認められないかもしれないが、好きなことは伸びるのが早いから、すぐに人に負けない強みになる。

 

強みを伸ばすことは弱みの対策にもなる。弱みを無くすと考えるのではなく、強みでカバーすれば良い。仮に書類のミスが多いなら、周囲を巻き込んで間違えにくいテンプレートを作ってもらっても良い。話すのが苦手なら、書類を完璧に作って情報共有するのだって良い。

 

強みを伸ばすには、自分ができること、できないことを、きちんと把握する必要がある。できない自分を認めるのは苦しいことだけど、同じだけ人より少しできる事だってある。自分を信じて、自分が好き、楽しい、という感情に素直に従って行動していけば、きっと道は開けるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

短所は無理に直さない方が良いという話

仕事で失敗したり、人間関係がうまくいかなかったりする度に、落ち込んだり、自己嫌悪したりする。これは、自分の短所だから直さなければと思う。でも、思うようにはいかなくて、しばらくすると、また繰り返してしまう。こんな経験、誰もが持っているだろう。

  

短所ってなんだろう?実際、自分で短所と思っていることは、自分で気づいたのではなく、他人から指摘されたり、具体的に関係がうまくいかなくなる。といった経験を繰り返して認識される。短所とは、あくまでも他人からの評価である。

 

短所も全ての人が感じる訳ではない。相手との関係性によって評価が変わる。ある人は短所とすることが、ある人からは長所として評価されることもある。

 

一例を挙げると、よく喋る人は、親しみやすい人と評価される一方で、おしゃべりで、うるさい人と評価されることもあるだろう。逆に寡黙な人は、落ち着いた思慮深い人と評価されることもあれば、何を考えているのかわからない人という評価を受けることもある。

 

あなたをポジティブに評価している相手からは、長所と評価されることが、ネガティブに評価している相手からは、短所として評価されることになるのだ。


多くの人は、長所は気付かず、短所を気に病む。「うるさい人」と言われれば、ショックだし、寡黙な人になりたいと思う。逆に、「何を考えているのかわからない人」と言われれば、もっと自由に話しかけられたらと、よく喋る人を羨ましく思うだろう。

 

 長所と短所は表裏一体の関係にある。故に短所は簡単に直せるものではない。短所を直せば長所を減らすことになる。それは自分の性格を否定しまうことになり、自分自身のバランスを崩してしまう。

 

短所を直せないとしたら、もう、お手上げで失敗を繰り返すしなないのだろうか?そんなことはない、ちょっとした心がけで、短所を抑えて長所を伸ばすことが可能である。そのための処方は、以下の3つのステップだ。

1.短所を分解する

2.自分の性格を認める
3.行動を変えてみる

まずは、あなたの短所を見極めることが必要だ。短所は「悪いところ」「直すべきところ」という思いで、一杯になってしまう。あまりきちんと向かい合っていない人が多いのではないだろうか?だから、周囲の指摘と本人の認識が、合ってなくて過剰に反応したり、勘違いしてることもある。

 

まずは、相手にネガティブな反応を引き出した、自分の行動を見極めよう。具体的にどんな行動が何を引き起こして、どんな場面で、コミュニケーションを阻害するのか?を冷静に見つめることが必要だ。

 

例を挙げると、周囲からは怖い人、とっつきにくい上司だと評価される場合。単に語気が荒いのだろうか?相手の言い分を聞かないのだろうか?言葉が足りなくて意図が伝わらないのか?

 

この上司に、いつも要領が悪い、仕事が遅いと怒られるている部下がいるとする。その理由は、何をしたら良いのかわからないのに質問できないのか?手順を守ってやっていたら時間が足りなくなるのか?1人では出来ない仕事なのにうまく他の人に頼めないのか?

 

どれも当てはまるかもしれない、それでも、分解してみると一つ一つの対処法は異なってくる。なるべく課題を細分化してみるといい。冷静に見てみると、思い当たるフシはいくらでも出てくるだろう。

 

とはいえ、いきなりその一つ一つを直そうとしても、上手くいかない。なぜなら、それは、自分の性格に根ざした行動だからだ。あなたの性格は常に行動に現れる。それを他人が見て、ある人は長所と、ある人は短所と評価する訳だ。他人からの評価であるが故に自分自身が納得しているとは限らない。だからなかなか直らないのである。

 

なぜ、そのような行動をとってしまうのか、その原因となる、自分の性格を知る必要がある。失敗した時に、自分はどうしてそのような行動をとったのか、正直な気持ちを思い出してみてほしい。仮に、相手が否定的な感情を持ったとしても、その行動には、あなたなりに良いと思って行動した結果だろう。そう行動する理由があなたの中にあるはずだ。

 

親しみを込めて気軽な言葉を使ったつもりがぶっきらぼうに聞こえるのかもしれない。自分と同じ失敗はしてほしくないと、相手のことを思ってつい強く言ってしまうのかもしれない。とても、あなたは、本当は面倒見が良かったり、情熱的な人なのかもしれない。

 

頼まれた仕事は、自分の手でやりとげたいという、責任感を感じるのかもしれない。手を抜かず、きちんとやるのが好きな几帳面な人のなのかもしれない。間違いがあったらいけないと慎重に事を進めるタイプかもしれない。

 

性格には良し悪しは無い。でもその性格が、短所となる行動を生む。短所を直そうとするならば、あなたが、そういう性格であることを、自分自身で認めることが大切だ。


性格は、あなたのこれまでの人生で培われたものだ。簡単には変えられない。しかし、あなたの人生や性格を否定しない範囲で、行動を少しだけ変えてみることはできる。性格に根ざす、あなたの意思を尊重しながら、行動だけを変えるのだ。

 

親しみを込めても、言葉が邪魔をするのなら、そう感じるのかも相手だけは丁寧にする。怒らないに越したことはないけれど、ついついやってしまうなら、怒った後に、自分の失敗談を伝えてフォローをするとか。さらに怒る前に、相手の言い分を聞けるようになれば上等だ。厳しいけれど頼りになる上司という評価に変わるだろう。

 

要領が悪いと言うなら、思いきってどんなところが悪いと思うのか、どうしたらいいのか聞いてみる。

それと同時に自分がどのようなことを考えて取り組んだのか伝える。そしてどのような行動をとったら良いか相談してみる。他の人にやり方を聞いてみるともっと他の良いやり方があるかもしれない。やり方を知らなかったり、自分のやり方に固執してしまっていただけかもしれない。そもそも、相手の考えていたアウトプットとあなたのそれが合ってないだけかもしれない。そこに気づけば、認識を合わせる方法を考えればよい。そんな議論を繰り返せば、納得するまで仕事をする粘り強い部下という評価をもらえることだろう。

 

繰り返しになるが、あなたの行動に対して、その時の状況や周囲の反応で、あなたが評価される。その結果が長所、または短所と呼ばれるものの正体である。自分の意思とは関係ない。相手の主観であり相対的な評価である。だから、あなたの行動によって周囲との関係を少し変えることができれば、あなたの短所は長所に変わることになる。そして、あなたの人生をもっと楽に、もっと自由にすることにつながるはずだ。

 

 

 

 

 

 

絵を描くたった3つの手順

多くの人から「絵は難しい」「絵が描けない」という話しを聞く。でも、あなたの手が不自由ではなければ(たとえ多少不自由があったとしても)絵を描くのは、実は難しいものではない。それが証拠に文字を書けない小さい子供でも絵は描ける。
 
誰もが小さい時は、自由に絵を描いたことだろう。いつから絵が描けなくなったのだろうか?小学生だろうか?中学生だろうか?描けなくなるタイミングは人それぞれだけど、多くは人の目を気にし始める頃である。他の人よりもうまく描けない。絵が下手で恥ずかしい。という気持ちが「私は絵が描けない」という結論を導くようだ。
 
要するに「上手に描けない」から絵が描けないと言っている人がほとんどだ。しかし、「絵が上手」という定義はなんだろうか?本物そっくりに描けるってことだろうか?それは大事だけど、無理して描かなくとも写真に撮ったっていい。マンガとかアニメとかそういうの絵が好きなのかもしれない。それこそ千差万別で結構絵が乱れてる人もいる。「絵が上手」の定義は人それぞれだ。
 

文字をちゃんと書ける人ならば、手を動かせば、丸も四角も描けるだろう。そもそも、絵を描くとは、この基本的な形を、組み合わせたものと言ってもいい。あなたが「絵を描けない」というのは思い込みである。絵を描く素養はある。もし、描けないとすれば描く方法を知らないだけだ。
 
ただし 、一般に誰が見ても「整った絵」「美しい絵」を描くのはテクニックが必要になる。ここで語りたいのは、手先が器用だったり、テクニックが無くても、絵を描ける方法である。もちろん、より美しい絵を描けるようになる為の基礎となる考え方でもある。
 
そもそも絵を描くというのは、コミュニケーションの1つである。話したり、文章を書いたりすることと同じ相手に意思を伝える手段である。故に上手な絵とは「意図が相手に伝わる絵」と定義したい。
 

話しは変わるが、僕の中学生の息子は絵を描くのは苦手である。この夏、宿題でポスター制作の課題が出た。これを手伝う中で、絵が描けないのは、絵を描く手順を知らないだけだと気がついた。そこで僕と息子の会話を題材として、絵の描き方を説明していきたい。
 
絵を描くの手順は以下の3ステップだ。
1.何を伝えるか決める
2.どう表現するか決める
3.自分のできることをやる
 
まず最初に考えなければならないのは、「誰に何を伝えるか?」ということだ。描く目的と言ってもいい。あなたは、いつも「何を描くか?」から考えてしまうのかもしれないが、それは後回しにした方が良い。
 
息子の宿題のテーマは、「未成年の喫煙防止」ポスターだった。

まずはどういう絵にしたいのか、描かせてみる。息子は、早速、下書きの紙に吸いかけのタバコを真ん中に置いてその上にバツを描いた。

 

僕「ちょっと待て息子よ、それでは、「ここではタバコを吸ってはいけません」というポスターに見えるよ」
息子「何がだめなの?」
僕「この絵は、タバコを吸ってはいけないということは辛うじて伝わるけど、未成年が吸わないように防止したいという要素が抜け落ちてる」

 

参考資料の調査では、タバコを吸うきっかけで多いのが「友達に勧められたから」というものなのだそうだ。
まだ、吸ったことがない同級生が、悪い友達から誘われた時に、このポスターを思い出して踏みとどまらせねばならない。では、どうしたらそうなるのだろうか?

 

僕「タバコ吸ってみろよ、って友達に言われたらどうする?」

息子「嫌だ」

僕「何が嫌なの?」
息子「煙いから嫌だ」
僕「でも、友達が良いものだと言うんだよ?」
息子「うーん、、一人の友達に、好かれても、ほかのみんなから嫌われると思う。それは嫌だ」
僕「なるほど、それはいいね。気持ちが伝わりそうだ」

 

というわけで、「タバコを吸うと友達に嫌われる」ということを、クラスの皆に伝える絵を描こうという方針に決めた。
 
伝えたいテーマがなければ、いくら上手に描いても何を言いたいのかわからない。伝わる絵を描くには、見た人にどう感じてもらいたいか?ということを明確にする所から始まるのだ。
 
次に、「どう表現するか決めていく」

最初に考えたような、タバコを中心に描くというのでは、うまくいかない。タバコを吸う人が嫌われるシーンを描くのだから、人が中心になるはずだ。タバコを吸う1人ぼっちになるという印象を出すためにはどうするのかを考える。

 

僕「ひとりぼっちとは、どんな状態?」
息子「多分、近くに友達が居ないってことだね」
僕「でも、本当にひとりだと嫌がられるいうことが、よくわからないね」
息子「仲間外れになると良い」
僕「そうだね、友達が遠巻きにしてるという構図が必要だね、じゃ、仲間って思うのは、何人くらい必要だろうか?」
息子「3人くらいかな、、」
僕「そうだね、そうすると、タバコを吸ってる1人を加えて、合計4人描けば良さそうだね」

息子「そうだね」
僕「では、3人と1人はどうなってたら嫌われてるように見えるかな?」
息子「ちょっと離れてる」
僕「そうだね、距離が近いと同じ仲間になる。でも、距離を離すと真ん中に大きなスペースができちゃうね、、」

息子「友達は遠くにいるから、小さく描いたらどうだろう」

紙の大きさの都合もあるから、ここでは距離が離れてる感じを、人の大きさの大小で表現しよう。

 

伝わる為には、それを見る人が感情移入できる、共感しやすい場面を考えることだ。今回は、いくつものアイデアを検討する所は割愛しているけれど、絵を描く時に一番時間をかけるべきなのは、この描く場面を検討するところだ。何をどう配置したら、もっとも早く伝わるのかをよく考える。これが決まれば、絵を描くのは8割がた終わったようなものだ。

 

では、いよいよ描き始めよう。そこで大事なのは、「自分のできることをやる」ということ。
まずは、不必要なものは極力省く。
僕「じゃ、4人を描いてみよ」
息子「僕、描けないよ、棒人間でいい?」…4人描く。
僕「悪くないけど、肝心なタバコを吸ってることがよくわからないね。これ、手足いらないんじゃないかな?面倒そうなのは描くの止めちゃおう」
というわけで、丸い頭と四角の胴体を組み合わせてみる。それはまるで「こけし」だ。それで十分だ。むしろ表情は大きく表現できる。
 
この人の顔を正円で表現する場合、フリーハンドで描きたいなら、一定期間の鍛錬は必要になる。しかし、コンパスを使えば、あなたでも簡単に正円を描くことができる。そのように、無理せずにやれることをやればいい。あとは、よく使われている表現を引用する。


僕「まわりの友達は、どんな表情をしていると思う?」
息子「嫌がってる」
僕「それはどんな顔だろうか、笑ってはいないよね?」
息子「煙くて怒ってる。あとは辛くて悲しんでる。とか」
僕「目は斜めの線で表現できる。目尻をあげると怒った目だ。悲しい時は涙が出る。口はどちらもへの字になるだろう」

息子「こんな感じかな」…円の中に描く。

僕「じゃ、タバコを吸ってる人はどうだろう?」
息子「目が死んでる」
僕「いいね、でもそれは、どうやって表現するんだろう?」
ネットで「目が死んでる人」で検索すると、三白眼っぽい表現を目が死んでると表現しているようだ、これを借用しよう。

 

あとはパーツの位置関係、自分の顔写真を撮ってパーツの配置を確認してみる。

息子「思ったよりも目の位置が低いかな」

僕「さっきは顔の中心には鼻があるように描いていたけど、実は目の位置が真ん中あたりにある」

息子「わかった」…修正する。

絵は位置関係とか面積などバランスを合わせと、それらしく見えてくる。

ネットにも素材はいくらでも転がっている。最初はそれを真似をするのでも良い。「真似はいけない」という意見があるかもしれないが、絵が描けないと嘆いているレベルのテクニックでは、いくら真似をしてみても、他人から見たら、似ても似つかないオリジナリティある絵になっていることだろう。

 

という訳で、息子の宿題は、この後の色塗りまで、すったもんだしながら1日がかりでなんとか終わらせることができた。

 

文学的な表現ができなくても、誰でも意思を伝えることができる。同様に、絵は意思を伝える手段だとすれば、どんなに稚拙な表現だとしても、伝われば問題はない。その為には、最初は面倒でも3つの手順を守った方が良い。すぐに慣れて意識しなくなる筈だ。

 

なかなか思うようにいかなくて、自分では満足できる出来でなかったとしても、勇気を持って誰かに見せてみよう。SNSで公開しても良い。何度も描いていれば、自ずとテクニックもついてくる。下手なら下手なりにあなたの個性だと思えば良い。絵を描くことは、そんなに難しい事ではない。絵が苦手なんて思わずに、あなたも明日からチャレンジしてみて欲しい。

どの山を登るのかという話

前回、自分の望みが叶うことを、人生の成功と定義してみました。では望みを叶えるためにやらなければならないことはなんでしょうか。そもそも望みが叶う方法なんてあるのだろうか?

 

僕は、人生の道のりを山登りに例えて話すことが多い。登山は周囲との協力と自分との戦いである。それが人生に似ているように思う。そして、あなたがやるべきことは、次の3つのことだ。

1.どの山を登るか決める
2.山頂までのルートを選ぶ
3.自分の力を信じて進む

 

この3つをもれなく実行すれば、必ず望みは叶います。僕のこれまでの失敗要因を考えた時、この3つのどれかが欠けていたということである。いつも迷ったり、悩んだり、クヨクヨしたのも、結局の所、この3つを曖昧にしていたからに過ぎない。そして、たまたま、3つが揃ってあきらめなかったことだけが結果につながったのだ。

 

では、順に解説していこう。

まずは、「どの山を登るか決める」
何よりも大事なのは、あなたは何を成したい思っているのか?を明らかにすることだ。

極端な例かもしれないけど、エベレストに登るのかと、富士山に登るのと、高尾山に登るのと、では、やることなすこと、全て違ってくるのは明白だ。達成するまでの時間も変わってくる。だから、いくつも登りたい山があったとしても、どれかに絞らなければならない。順番に登るのでも構わないが、一度に登れるのは1つの山だけだ。

エベレストなんてとてもとても、今からじゃ無理だよ、とあなたは言うかもしれない。でもエベレスト登頂の最高齢は、日本の三浦雄一郎さんの80歳である。大きな望みを叶えるには、もちろん大きな困難も待ち受けているだろう。でも諦めなければ、いつかチャンスをものにできるだろう。たとえ他人に荒唐無稽だと笑われようと、望まなければなにもはじまらない。

 

次に、「山頂までのルートを選ぶ」

登る山を決めたなら、その準備を始めよう。どんなルートで登るのか?計画を立てる必要がある。

前人未到のルートを辿るのは偉業として讃えられるかもしれないが危険も大きい。他の人が切り開いた道ならば、その先人の知識を活用できる分、危険を回避して安全な道を行くことができる。

 

どうやって登るのか?仲間と登るのか、単独登頂なのか?では、準備することが大きく変わってしまう。どのくらいの機材にどのくらいの食料、どのくらいの人数、そしてどのくらいのお金をいつまでに集めるのか?やり遂げるために、どんな訓練をして、どのような能力をもっていなければならないのか?

 

いつ登るのか?も大事だ。半年後なのか、一年後なのか、必要なものの手配やら、自分の能力を冷静にみて決める必要がある。あまりに短期間では無理をして失敗するのがオチだ。でも、長すぎる期限はも考えものだ。

 

「石橋を叩いて渡る」という諺がある。壊れなあはずの石橋を叩いて安全を確かめる様子から、用心の上にさらに用心を重ねて物事を行うこと、を意味する。このことは、重要なことだ、無計画に進んだら失敗する。でも、なかなか渡らなかったら、叩きすぎて壊れてしまうこともある。

 

最後は、「自分の力を信じて進む」

 周到な計画を立てるのは大事なことだけど、最後は自分で歩き出さなければならない。最初の一歩を踏み出さなければ、いくら綿密に計画を立てようとも実現することはない。まだ準備が整わないと出発を、明日に明日にと先送りしていたら、永遠に山頂にはたどり着かない。

 

計画どおりにものごとが進むとは限らない。予定外のことに惑わされたり、途中で道に迷ってしまうことだってある。それでも望みを持って歩き続ければ、きっと山頂が見えてくる。霧の中に居たら少し立ち止まって様子を見ても良い。天候が悪くて下山することになったとしても、また次のチャンスを待てば良い。諦めなければ失敗ではない。失敗に学んで、より良いやり方を見つければ良い。経験を積むことで、もっと歩きやすいルートを見つけたり、よい仲間に出会えるかもしれない。

 

 あなたの人生はあなただけのものだ。あなたが望まなければ叶わない。だからこそ、あなただけの望みを持つこと。それを叶えるためには、どのような道筋で、どんな努力すればいいのか冷静に考えること。そして自分を信じて歩き出すこと。その3つで成功への道筋が開ける。人生は一度きりで、時間には限りがある。自分を信じて、頂上を目指して一歩一歩、着実に歩みを進めて欲しい。