人生という冒険はつづく

普段の仕事の中で、感じたり伝えきれなかったことを書き留めています

他人を羨むのはやめた方がいい

他人が活躍して周囲に認められているのを見ると羨ましいやら妬ましいやら、複雑な気持ちになる。それが仕事の同僚だったなら、評価に差がついてしまうと焦ったり、自分の力の無さに落ち込んでしまう。そんな経験は誰しも持っているだろう。

 

 

その感情が、自分の力量不足を自覚し、それを克服するように努力する。所謂「ライバル意識」と呼ばれるようなポジティブな力に変わるなら、とても素晴らしいことだ。しかし、それをきっかけに嫌ったり、足を引っ張ろうとしたり、ネガティブな感情が湧き上がることもあるのではないだろうか。

 

「隣の芝は青い」という言葉が示すとおり、誰もが自分よりも他人の持ち物の方が良く見えるものだ。それは物理的なモノだけでなく、その人が持っている「能力」にも当てはまる。それが容易に手に入るなら、前向きになれるけど、ほとんどは、少しの努力では解決できないからこそ妬ましく感じるのだ。つい「自分にも同じ能力があったなら、いい思いができるのに」と考えてしまう。さらに「あの人はずるい」「不公平だ」といった負の感情がエスカレートしていくこともある。

 

誰しも今、見えている結果だけではなく、そこに至る過程がある。僕の以前の職場で、仕事ができて、特にプレゼンが上手な同僚がいた。流暢に話すだけでなく、人を惹きつける。話し方のスタイルを真似してみたりしたけれど、彼ほどうまく行かない。だから、ある日プレゼンのコツを聞いてみた。すると「練習するんだよ」とあっけなく言われた。話しをするのはそれほど得意ではないから、人前に出るととても緊張する。緊張しても口から出てくるように暗記するのだということだった。

 

当たり前のことを当たり前にやっているだけだった。そんな努力している素ぶりは見せなかったので、正直、驚いた。それを伝えると、「努力してるように見せるのはカッコ悪いから」という返答だった。単に僕は結果だけを見て、彼の持った能力のように感じたのだった。僕は彼に比べて真剣さや努力が足りなかっただけだったと思い知らされた。

  

その同僚は、話しが得意ではないという言葉どおり、プレゼンは上手だが接待は苦手だった。練習したことを話すのは上手だが、話題が特定できない会話の場合は、ずっと黙っているのだ。そして自分の得意分野の話題になった時だけ饒舌になる。場の空気を読んで盛り上げる、みたいなことはからっきしダメだった。そういうことができる同僚をちょっと蔑んだような言い方もしていた。なんでもソツなくこなす彼にもできないことがあるんだなと感じのだけど、今思うと話すことにコンプレックスもあったのだろう。

 

人を羨むのは、そのことによって得られるプラス面にのみ目を向けてしまうからだ。モノゴトの良し悪しは視点によって表裏一体の関係にある。他の人は持っていて、自分は持っていないものがある。であれば、逆に自分は持っていて、人は持っていないものはなんなのか?それを両方とも評価しなければ公平とは言えない。

 

結局のところ、他人のことを気にしすぎないことだ。あなたが知っているのは、その人にとってごく一部分に過ぎない。全てを知る機会もないし、知ったところで、その人の人生を生きられるわけではない。仮に生きられたとしても心地よいとは限らない。あなたの思ってもみない悩みを抱えているはずだ。

 

他人に目を向けるよりも、自分を知って行動することが大切だ。あなたのこれまでの行動と人間関係が今のあなたを形作っている。そこには良かったことも悪かったことも様々に絡み合っている。そんな自分から逃れることはできない。過去の行動の結果が今のあなただとしたら、今の行動の積み重ねは未来のあなたを作る。自分の得意なところを伸ばして、自分が生きやすい道を選べばいい。たとえ、その行動を人に笑われても関係ない。自分を信じてやり遂げればいい。自分の人生は、自分のためにあるのだから。